臨生受苦の恩

「諸人よ 思い知れかし 己が身の 誕生の日は 母苦難の日」

昨夜、水戸黄門として有名な徳川光圀のとあるエピソードを伺いました。
このエピソードは、『親のこころ』(著者:木村 耕一さん)という本に紹介されています。

ここから引用 ———->

水戸黄門として有名な徳川光圀は、自分の誕生日には、最も粗末な食事をしたという。吉川英治は、次のように描いている。

「今日は、わしの誕生日ではなかったか?」
「さようにございまする」
「だのに、なぜこのような馳走をたくさんに、膳部へならべてくるか」
「そのためわざわざ、那珂港の生きた鯛をえらび、お赤飯をさしあげるのでございますが」
「また失念いたしたの。光圀の誕生祝いには、かならず白粥と梅干ひとつでよいというてあるのに」
「あ。左様でございました」

家臣はあわてて、膳部を退げた。年に一度のことなので、膳部の係りも、初めのうちは、よくこんな失態を演じたが、後々には、光圀の親思いが、家臣の個々の心にも沁み入って、決して忘れなくなった。

生母のひさ子がこの世を去ってから後である。光圀は、自分の誕生日には、かならず梅干と粥ですましていた。

「産褥の母のすがたを忘れぬのが何よりの誕生日――」
と、侍臣へ云った。 (水戸黄門――梅里先生行状記――)

この心を、もう少し掘り下げてみよう。
「なぜ、誕生日には粗末な食事なのですか」と、光圀に尋ねると、こう答えるに違いない。
「なるほど、誕生日は、この世に生まれた祝うべき日であるかもしれない。しかし、この日こそ、自分が亡き母上を最も苦しめた日なのだ。それを思うと、珍味ずくめでお祝いなどする気にはどうしてもなれぬ。母上を思い、母上のご苦労を思えば、自分はせめて一年中でこの日だけでも、粗末な料理で母上のご恩を感謝してみたい」

中国の軍人・蒋介石にも、同じような話が伝わっている。
彼は母の死後、自分の誕生日には、朝食を取ろうとしなかった。
「子の誕生日は、母親にとっては、産みの苦しみを経験した日でもある。子としては、ただ、誕生を喜ぶだけでなく、母の痛苦をもしのばなくてはならない。そのために食を絶ち、母のことを思っているのだ」
と周りの人に語っていたという。

古歌にも詠まれている。
「諸人よ 思い知れかし 己が身の 誕生の日は 母苦難の日」

<———- ここまで

『仏説父母恩重難報経』には親の愛と恩を十種に分けて具体的に説かれています。
何百年、何千年と時代が下っても、いつの時代も親が子を思う気持ちに変わりはないんですね。


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